デジタルコラボレーション を巡る冒険
「グループウェア」・「ナレッジ」・「バーチャルコミュニケーション」・「インフォメーションワーク」 ~企業における『デジタルコラボレーション』に関してつらつらと思った事を書いていきます。
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日本の企業人がなぜ企業ソーシャルに懐疑的か?
「日本の企業人がなぜ企業ソーシャルに懐疑的か」

フォローしているTwitter内で投げかけられた質問に対しての私の個人的な感覚をまとめてみました。

まず私の立ち位置ですが、そもそもは「懐疑派」でしたが、現時点では「推進派」です。
(一口に「推進派」というのも危険ですので、なにを推進しようとしているかはまた別の機会に説明します)

まず・・・あの「社内ブログ」「社内SNS」が盛り上がっていた時には正直「こんなの企業内で使ってなにが変わるって?」と思っていました。
その当時のメンタリティはこんな感じ。
 ・この手の仕組みは「最初は物珍しさで盛り上がるが、だんだん利用者が減っていく」実績がある。
 ・「定期的に何かを書く」ということ自体とても大変。従業員全員がそれをやっている姿が想像できない。
 ・「メールだけでも大量に処理しなければならないのに、さらに回らなければならないサイトが増える」のは非現実。
 ・「匿名」の世界で育ったツールに対して、企業利用では「姓名開示」はMUST。急に敷居があがるはず。
というイメージで捉えてました。

なので、今回改めて「企業内ソーシャル」が出てきたときの最初の反応はこうでした。、
 ・あの「SNS・ブログ」を導入して成果を出した企業はあったのか?をまずは教えて。
    → また「ただのフィーバー」で終わったりすんじゃねえの?騙されねぇよ。
 ・Twitterは「140文字」という手軽さがあるから少し敷居は下がるけど、逆にこの量だと伝えられなくないか?
    → 所詮はお遊びのツールでしょ。仕事の会話には向かないでしょ。
      (有名人が書いてるからみんな見るんでしょ、ブログとかさ。どうせ中身なんかないじゃん!)
 ・そもそも「会社」ではない世界でのコミュニケーションをすることの喜びを実現するツールでは?
    → 知らない/知っている「社外の人」とのつながりがうれしいのでは? 社内の人たちとやることに意味はあるのか?
 ・で、これで何がどのくらい変化することが見込めるのか?それが明示できないとそもそも投資のOKが得られない。
Twitterはまだマシな方で、Facebookに関しては「????」って感じ。
多分、企業の情報システム部の人の第一印象での反応はこんな感じでは。


とばかりも言ってられず、実際に使ってみましたTwitter(社外ですけどね)。その上での感想は以下。
 ・ノイズのようなTwittも多いが、知りたい情報に関して超速報をしてくれる人は存在する
    → うまくフィルタできれば、PUSHで、NewsMailよりも「目を通す情報源」としては性能が高い。
 ・140文字制約によって、かえってエッセンスが捉えやすい
    → 効率よく情報収集できる
 ・拡張ツールも多くあり「気になったやりとりを抽出して一覧化・ページに編集」とかの加工や2次利用も可能
 ・iGoogleにパーツを組み込めば、既存の情報と一緒に俯瞰することも可能
 ・ブロードキャストに近いが「フォロー」という概念で情報フィルタリングが可能
 ・文字づらだけでなく写真の表示があることで、自然に識別がかかるし、親近感も出る。
 ・特に若手の子たちは、比較的無防備に呟くので、精神状態が感じ取れることが多い。
                                         などなど。


というわけで・・・個人的には
●「与太話を呟くことで、社内コミュニケーションも活性化」というアプローチは今でも"無い"と思っている
● ただ、このアプリケーションがもっている機能コンセプトは秀逸で、企業内の「コミュニケーションスタイル」を変えられる可能性あり
●今でもTwitterで社内関係者が会話しているケースもあるので外にも見えてしまっている情報があるが、これを再び企業内(orクロースド)に取り戻せる可能性あり

という意味で、社内ソーシャルとして社内Twitterの導入はアリだと考えるようになったわけです。
"言語力"の低下がもたらすもの
たとえば、"自問"する時。あなたはどのようなプロセスを脳の中に展開させますか?

私の場合は、アタマの中でブツブツ独り言をいいながら考えをまとめます。そしてその論旨を"自分A"に発表させ、それを"自分B"がレビューします。時には賛同、時には反論、時には矛盾点をついていきます。

つまり、頭の中で"言語化"をおこない、それを土台にして思考を重ねていきます。

なので、もし自分の言語力が低下したら、まともに考えがまとまらなくなるでしょう。
(もし、そうでない方法で考えをまとめられる人がいたら教えてください。たとえば「正しい結論が舞い降りてくる」とか・・・)

言語力の低下が、組織におけるコミュニケーションを弱体化させることは前回述べましたが、それは「伝える力」だけでなく、「自分の中で組み立てる力」をも弱体化させてしまうのでは、と危惧しています。

ということは、「ディスカッション」や「ブレーンストーミング」ができない、始められない、ということです。
そして何とか自分の考えをまとめてスタート漕ぎつけたとしても、今度は「伝えられない」・・・。

こうして、コミュニケーションやコミュニケーションを重ねた相乗効果として「より良いもの」が出来上がる機会も減っていくような気がしています。

日本人の“言語力”
NHKの『追跡! A to Z』という番組を観ました。テーマは"言語力"の低下。
言語力とは「論理的に考える力」「それを書いたり話したりする力」のことなのですが、これが近年日本だけでなく全世界的に若者の中で低下しているというお話でした。

「確かに!」と思うフシはあります。
  ・説明させても「何が言いたいのか・ポイントは何か」がわからない
  ・資料を作成させても「ちゃんと読みなおしたの?」と思うようなレベルで日本語がおかしい
  ・要約して伝えることができず、だらだらとした自分の思考プロセスの再現でしか語れない


正直「オマエの学歴は飾りか?!」と感じていましたし、何をどう説明しても治らないので手を焼いていました。
でもこの番組の説明を聞いて、しっくりきました。

 「コイツらがアホなのではなく、そういう教育を受けていないのだ・・・」

ということで最近やり始めていた「進捗報告の書きっぷりを指導する」というアプローチを自信を持って推し進めることを決意しました。とにかく「伝わる文章を書く」というトレーニングをしこたま踏ませることにしたわけです。

このままでは、「伝承」はおろか、仕事の基本である「報・連・相」すら崩壊してしまうかも知れません。

みなさんも「最近の若いモンは何考えているのか分らん!」という前に

  「彼らがそれをロジカにル語る力を持っていないのでは?」

という目線で、今一度現状を振り返ってみてはいかがでしょうか?


新しいデジタルコラボレーションツールには、この"低下"を 補完 or 訓練 していけるものであることが求められるのかもしれません。


働かざるもの・・・・食って良し
一匹の女王アリのために一生をかけて尽くす『働きアリ』。報われることも無いのに、休むことなく働き、女王に尽くし続けるイメージがありますが、実はこの働きアリさんをよぉ~く分析していくと、どの働きアリの集団においても一定の比率で『働かないアリ』がいるそうです。正確にいうと「働いているふりをしてるアリ」さんらしいんですが・・・
例えば、みんなが一生懸命見つけた餌を巣に運んでいるのに、その働かないアリは確かに何かを持っているけど運び届けることなく、荷物を持ったままその辺をぐるぐると意味も無く歩き回っているのです。

でさらに驚きなのが・・・「働きアリ」の集団の効率を上げようとして、この「働かないアリ」を取り除くと、いままで「働きアリ」だった者のうちやはり一定比率のアリが「働かないアリ」になって、結局、その存在比率は変わらないんだそうです。

う~ん、なんだかこれって人間社会の企業においてもそうかもしれないって思いません?

ひょっとすると、一定比率のムダの存在が組織の存続や進化や発展に無くてはならないものなのかもしれませんね。
ナレッジマネジメントはどこに? 後編
そこで注目を浴びたのがBLOGです。

BLOGの良いところは、グループウェアの掲示板に比べて「書き込みがしやすい」という点にあると思います。いわゆる掲示板は「公共のデジタルスペース」です。つまりそこに書き込むということは公共施設を使うことと同じで、従わなければいけない明確/暗黙のルールが存在します。
一方でBLOGに書き込むことは、「自分のデジタルスペース」への書き込みであり、従わなくてはならないルールは「ネットの常識」の範囲であり、気持ち的にも敷居が低いものになります。

この「敷居の低さ」によって、伸び悩んでいた「情報発信の頻度」が向上して、ナレッジが実現する・・・という期待があったわけです。

しかし、前編でも述べましたが、暗黙知が形式知になるには「情報の再編集」が必要で、そのセンスの良し悪しでその形式知の訴求力は大きく左右されてしまいます。

BLOGという仕組みやその場の利用者に、そういった点を要求することはBLOG自体の良さを消してしまうことになると思います。BLOGは「暗黙知を暗黙知のまま共有するツール」と考えるのが正しいと思います。


「ナレッジを実現する魔法の箱」なんて無いってことです・・・よね?